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大きな主語は「私の人間関係」と変換する

1人1人みんなが考えていかなければならない、と思います。

って便利なセリフに違和感を覚える。
みんなで考えるってことは、誰も考えないってことと同意のような気がしている。

みんな、普通は、常識では、などなど主語がでかくなる話ってのは聞いている方としてはゲンナリしてしまう。
話している方も、本当に「みんなが」考えているかを調べたわけではないから、言葉の意味を互いに取り違えていると感じる。
となると、大きい主語ってのは、何かしらの言葉に変換した方が良いだろうと考えていた。

思いついた言葉は「私の人間関係」という限定した言葉だ。

1人1人みんなが考える → 1人1人の人間関係の中で考える
みんなそうしている → 私の人間関係の中ではそうしている
普通は5分前行動するでしょ → 私の人間関係の中では5分前行動している

といった感じだ。

みんなという言葉には、あなたと私が含まれている、という意味合いが強い。
だが、実際に会話の中で使われる場合は、あなたの人間関係の中に私は存在しない事が多い。
にもかかわらず、勝手にあなたの人間関係の中に組み込まれているために、私もそうしないといけないように感じるところがモヤモヤするのだ。

私の人間関係のなかではこうしている。

という言葉であれば、「あなたの人間関係ではそうしているんだね、私の人間関係ではそうしないけど」
と一歩引いた視点で受け答えができる。
一歩引いた視点を得る事が、心の余裕を生み、話を適当に受け流すことができるようになる。
つまりはモヤモヤしないようになる。

あなたと私はもちろん違って、人間関係も違うのに、勝手に大枠に入れる手法。
これは「バーナム効果」の一部だと考えている。
簡単に言うと、主語を大きくすることで同意のコンセンサスを得やすくしているのだ。

日本人の会話は特に、(話の内容はさておき)同意するかしないかで会話が成立するかが決まる。
同意しない事は即ち敵であり、容易に攻撃対象になってしまう。
それゆえ、日本人はバーナム効果にうまく対応できない。(攻撃されたくないから)
多くの場合、これを「空気を読む」という。

だが、繰り返すが実態では私とあなたは違う。
この事を、自分自身に強く印象付け、かつ敵対的な関係にならずに距離を取って静観できるように、
大きな主語を「私の人間関係では」と変換するのが良いだろう。