
■ 結婚したまま別居する「事実離婚」
事実婚って、婚姻届けを出さずに共同生活をしている状態ですよね。
私はここにもう1つの意味、事実婚=結婚をしているんだけど離婚届を出さずに別居生活をしている状態。事実離婚を加えたいと思っています。
日本では結婚を基礎とした家父長制が共同体の基本となっているので、結婚をすることで得られるメリットが多く国から提供されていると思います。
ですが、離婚率の高まっている現代では、離婚をしたしわ寄せを受けているのは、主にシングルマザーかと思います。
そこで、事実離婚をすることで、国からのメリットを享受しながら次のパートナーを探したり、仕事を探したりする方が、感情的な面は置いといて、合理的ではないかと思うのです。
事実離婚は現実として既に存在していて、離婚前の調整期間とか家庭内別居とか呼ばれています。
更に、「子供が成人するまでは、我慢して夫婦生活を送る」といった、心は既に離れてしまっている状態も多いと思います。
これら既に存在しているものと、事実離婚はどのように異なるのかを整理していきましょう。
■ 既に存在している“似た状態”とどう違うのか
事実離婚と既存の存在(ここでは代表例として家庭内別居としましょう)の違いは、それぞれが次の生活を遅れる準備を行うことをサポートする点にあります。
私は現代の離婚の仕方に非常に違和感があるので、このような発想になりました。
身の回りにある離婚って、感情的にこの人とは一緒に住んでいられないから離婚+別居する、という構図になっていませんか?
各カップルで様々な葛藤があるであろうことは承知していますが、結果として別れることに視点が行き過ぎて、その後に不幸な状況(=簡単に言うと貧困)になっている人が多いと思います。
結果として多いのが、シングルマザーにしわ寄せが行っていると思うのです。
■ 恋愛文化が作った“別れ方の型”
多分この行動をするのは、日本に持ち込まれた恋愛方法=自由恋愛の影響が強いと考えています。
付き合っている状態であれば、ダメなら別れて家を出ていくのは、普通の行動になります。
そんなシーンは漫画やドラマにありふれています。
むしろ、これ以外の別れ方を知らないんじゃないかって思います。
子どもがいない状態であれば、付き合っている時と同じように離婚することができると思います。
およそ夫婦共働きでしょうし、別れたところで従来の1人暮らしに戻るだけです。
「子供が成人するまでは、我慢して夫婦生活を送る」という人は、この状態になるのを待っていると言えます。
ですが、子どもがいる状態であれば話は別です。
■ 子どもがいれば事情はまったく別
人間の子どもを育てることはすさまじい量ののお金と時間がかかります。
大人1人で1人の子どもを育てるよりも、大人2人で1人の子どもを育てる方が負担は減ります。(実態ではなくあくまで数字の話です)
更に、日本では子育てしながら正社員として働ける企業はとても少ないです。
1秒も一緒にいたくない!別れる!を優先して、一時的なお金は得られるものの、その後はとても苦労することになります。
また、離婚した場合は子どもをどちらが引き取るかという親権の問題もあります。
日本では多くは女性が親権を得ることが多いですが、子どもにとっては結婚や離婚は関係なく父と母がいます。
(これは想像ですが)親権を得られなかった父親は、親権がなくなったから綺麗さっぱり忘れるなんてことはなく、どこかでサポートしたいし、
可能であれば新しいスタートを子どもが幸せな形で送り出してやりたいんじゃなかろうか。と思います。
子どもの方も、自分には戸籍上の父と母がいるだけじゃなくて、生物としての父親と母親がこの人たちで、それぞれに今のパートナーがいて、
今僕を愛してくれているのはこの人たち、ってことが分かるんじゃなかろうか。と思います。
■ 制度疲労:家父長制・戸籍・親権・永遠の愛というフィクション
前置きが長くなってますが、日本の家父長制、戸籍、親権、および結婚に対する永遠の愛情という妄想などと、離婚することの制度疲労があるのです。
多分、これらの離婚の想定は、駆け落ちとか不貞打ち首みたいな、やったら人生終わり、的な要素があると思います。
戦後くらいは、まだまだ家制度が強かったため、結婚は家同士のつながりとなり、離婚するにも家が出てきて
子どもはどうする、生活はどうする、賠償金だ、あれやこれやと外野が感情的だけない(ある程度)合理的な横やりを入れてくれました。
横やりを入れてくるというのは、自由を束縛する側面はもちろんありあすが、見ようによっては責任の一端を負ってくれる面もあります。
例え感情的な離婚であっても、責任の一端があるのであれば、一緒に味方になってくれたり、一緒に敵視をしてくれて、その後どうするかにも協力的になれる素地が生まれます。
ですが、そこも自由恋愛によって崩れています。
自分が好きになった人と、自分の意志で結婚する。
この考えはとてもロマンチックで親冥利に尽きますが、離婚時に外野の介入を入れない自己責任の装いが強くなります。
結婚する自由度はどんどん増えているのに、離婚する時には不貞打ち首、人生終わり、に1人で突入する構図になっていると感じます。
■ そこで「事実離婚」が登場する
そこで登場するのが「事実離婚」という考え方です。
事実離婚は、これまでの制度を踏襲しつつ次のスタートを2人で準備しようという、
これから別れようとするカップルとは思えないほどハートフルな考え方になります。
と言っても、ここからは通常の離婚調停?とやる事は同じなのかもしれません。
新しいスタートを切るために共通して重要になるであろう要素は2つです。
・経済的自立
・精神の安定性
この2つを子どもがいる状態で確立することがゴールとなります。
そして、これを達成しずらいのがシングルマザーになります。
■ 経済的自立を準備するための“猶予期間”としての事実離婚
まず、経済的自立を果たすのが難しいのは、日本社会の働き方、昇給の仕方などの制度面・文化面でハードルがあるのは言うまでもありません。
このハードルを少しでも低くしようとするのが事実離婚です。
現在シングルマザーで、フルタイムで働けるか分かりません、子どもが発熱したら行かなくてはなりません。という人と、
パートナーも働いていますが、私のフルタイム勤務に協力的で、子どもの対応は分担してくれます。(まだ結婚している状態)という人。
能力が同じなのであれば、企業にとって採用しやすいのは後者です。
日本の企業は採用したら解雇するにはハードルが高いので、入社するところをこれで突破します。
また、事前に能力を付けておくにしても、パートナーがいて子育てを分担し収入も確保しながらやっているのと、
子どもの世話をしながら貯金を切り崩してやりくりするのでは、精神的な負担感が違います。
(パートナーが従うかは分かりませんが)すぐに離婚をしたいという感情的な面をコントロールすることで、少しでも準備を進めることができます。
■ 精神の安定性:住む場所・地域文化・世間体
次に、精神の安定性です。
精神の安定性は様々な要素で構成されていますが、収入面の安定を基礎に、どこに住むか、誰と住むかがの影響が大きいと思います。
結婚すると多くの人が同居しているので、新しい住居を用意して、シングルマザーとして住むのが苦にならなければそれでよいでしょう。
住む場所というのは、周囲の地域にも入っていかなければなりません。
日本では田舎に行けば行くほど、伝統的な家父長制+母性論が強いので、シングルマザーが来ると、簡単に言うとびっくりしちゃいます。
気の使い方も良く分かっていないので、あらぬ方向の気の使われ方もすることでしょう。
ですが、そこに住んでいるのが夫婦なのであれば、老人たちの良く知っている形態なので緊張感がなくなります。
母親が仕事ばっかりしていて子どもがおろそかになっている。
母親が夜に出歩いている。
みたいな、口には出さないけど感じてしまうことの入り口を、事実離婚によってカバーできます。
夫は単身赴任しているとか、自分もフルタイムで働いている、と言うのは普通になってきています。
シングルマザーという認識がないだけで、あっちの家はあっちの家、うちとはあまり関係がない。という家制度を勝手に展開してくれます。
■ 新しいパートナーを先に探すという発想
新しいスタートを切るために2つの要素を自分で(それぞれ)用意することは、子どもがいる状態ではなかなか難しいものです。
あえて書いてきませんでしたが、実はこの2つをいっぺんに取得できるのが、新しいパートナーを獲得することです。
私の違和感ひとつに「どうして離婚してから新しいパートナーを探すんだろう」があります。
これは子育てが忙しくて恋愛なんてしている時間がない、という時間的制約が1つ。
結婚していて子育て中の人を好きになってくれる人はいない、という決めつけが1つ。
結婚している時に恋愛したら浮気や不倫になっちゃうじゃないか、という法律的+道徳的な縛りが2つあります。
事実離婚では、現パートナーの協力により、時間的制約をカバーすることができます。
決めつけ、はあまり実態と即していない(子育てや結婚と魅力があるかどうかは関係がない)。
法律的なところの問題があるのは、ここは制度の変更を頑張って欲しい。
道徳的なところは、これが問題にならないように事実離婚状態に契約を結ぶってことです。
つまり、法律的なところ以外は「新しいパートナーを探していい。むしろ、この時間がある時に探しましょう。」という認識です。
新しいパートナーが経済的自立と精神の安定性を与えてくれるのであれば、自分でそこを短時間でどうにか整える必要がありません。
(まぁ、同じ轍を踏まぬように、全部お任せにはしない方が良いとは思いますが)
■ 海外の離婚観との比較
海外(フランス)の離婚事情を聞いたときに、その離婚率の高さ(50%)には驚きましたが、もっと驚いたのは離婚理由です。
端折って言うと、「新しく好きな人ができたから」ってのが理由になります。
日本では、顔も見たくない!というネガティブな感情で別れていると思いますが、海外では未来を見てポジティブに離婚しているのです。
日本では離婚することにパワーを使いすぎて、未来を見ずらいのだと思います。
最初に未来を見ておいて、後で過去を清算するって思考が、事実離婚です。
■ 結婚時にはこれくらいの契約があっても良い
私が感じる違和感の1つに「永遠の愛を信じ切って結婚しているんだな」があります。
ここら辺が、愛をイデオロギーと感じてしまう理由になります。
日本の制度と文化として、結婚をする入り口はすごく広いのに、離婚は人生終わり、があります。
少なくとも結婚をするその時は、一生の愛を誓いあうのであれば、離婚する時は事実離婚をしてお互いのスタートが切れるようにする。
ってのも愛の一部だと思うわけです。
生命保険のCMで同じようなこと言っています。
私は永遠の愛はフィクションだと思っていて、実際にフィクションだと思います。
であれば、事実離婚が開始する期間を決めて、実行する内容を決めておくのは、その瞬間の本当の愛になるんだと思います。
■ 事実離婚への反対意見と、その背景
ここで事実離婚への反対に目を向けてみましょう。
結婚中に「別れる前提の結婚」「結婚中に新しいパートナーを探す」「経済的自立をせずとも許容できるような社会にした方がいいのでは?」
この辺りが共感できない部分でしょう。
ちょっと話は変わりますが、私はこの辺りは人間の認識の共通的な傾向だと思っています。
何でも、自分自身に起こっている、として捉えるところです。
良いか悪いかは別として、自分が今、その環境に陥ったとして今の自分がどう感じるかをアウトプットします。
この能力は他人の良い体験や悪い体験を自分に当てはめることで、同じ轍を踏まないようにしたり、同じ経験をしたりするわけです。
ここに良くも悪くも共感があります。
事実離婚については、離婚する前提で話していて、いきなり離婚するよりは準備して離婚した方が良いよね。から始まっています。
なので、離婚するレディーの人たちには共感ができるかもしれません(割と沢山いるとおもいますが)。
ですが、離婚していなと(少なくとも自分は)思っている人には刺さりません。
ここに割と事実離婚の高いハードルが見えてきます。
離婚しようと思うのは2人の間で時間差があるってことです。
例え、離婚調停として裁判所に行かれたとしても、2人の認識には差異があると思います。
どの段階で「お互いが新しいスタートを切れることを考えよう」と思って、契約みたいな物を結ぶかは大きな問題です。
次に、大きな文化面での反対として、子どもが可哀そうと思うところです。
これは自分の幸せを考えると共に、子どもの幸せを考える場面でもあります。
子どもにとって一番幸せな状態とは、父親と母親が夫婦で幸せそうにしているのが良いのでしょうか。
であれば、結婚をしていなければ幸せではありません。結婚は単なる制度です。
母親と父親が幸せそうに生活していることでしょうか。
であれば、その2人が夫婦であるのかは関係がありません。
■ 子どもの“幸せ”を大人が勝手に決めている問題
私が考えるに、自分の幸せしか分からないんじゃないか?ってことです。
誰かの幸せは、たとえ自分の子どもですら、どうやったら幸せになるかは、自分の一方的な思い込みにすぎないってことです。
まぁ、それゆえに、なんでもかんでも自分に置き換えて考えるんだと思いますが。
ですが、子どもで言うと、子どもは割と柔軟に幸せを捉えられる存在だと思っています。
自分を大切に思ってくれる存在なのであれば、それが母親、祖父祖母、おじおば、近所のおばちゃん、などなど誰でも大丈夫で、
加算方式なんだと思います。
○○でなくてはだめって、典型的な減算方式の評価の仕方ですよね。
母親と今のパートナー、困ったときに助けてくれる父親と今の父親のパートナーがいたとして、
子どもにとっては4人の関係性ではなく、それぞれの名前で覚えると思うんです。
4人の関係性が大事になるのは、ずいぶん自分で考えられるようになってからなので、それをどう感じるかは当人次第です。
日本では、子どものことを心配はしているけど信頼はしていないって感じだと思います。
心配しているから、こう考えたらどうしようとか、こう感じたらどうしようとか、子どもがどう感じるかを先回りして推測し、事象から遠ざけたりします。
ですが、それは子どもを信頼していないのと一緒で、子どもにちゃんとした人格が無いと考えていると感じます。
子どもを育てる大人の数は多い方がいい(算数的に)
この考えをもとにしていこうと思います。
■ 事実離婚には思わぬ副産物
この事実離婚には思わぬ副産物があります。
1つ目は、読んでみると分かった通り「そんな夫なら別れないわ!」というところです。
その通り。
協力的になってくれる夫は、普通に便利な存在であり、便利な存在は安心できる存在であり、安心できる存在ってことは好きってことに繋がりやすいです。
事実離婚はいつでも後戻りが可能です。
どこまで戻るか(完全に元通りになる、別居は続ける、週末婚にする)のも自由自在。
離婚という、もうどうにも後戻りできなくなる前に、自分と相手を見つめ直す期間になりえます。
2つ目は、「女性の活躍を促進できる」ところです。
はっきり言って、日本で出産することは女性への縛りが大きすぎます。
これは制度と文化の両方からの縛りですが、事実離婚では女性の経済的な自立を求めます。
一家の補助的な働き方ではなく、一家の長としての働き方を求めるので、女性の活躍は促進できるはずです。
3つ目は、「結婚制度をハックして、事実離婚スタートする人たちが出てくる」ことです。
既に、離婚前提として結婚をする人たちが出てきていますが、これは暗に事実離婚をスタートしている人たちだと思います。
これがもう少し進めば、世間体的に結婚していて事実離婚中のステータスの人が増えると思っています。
日本の制度と文化的に、結婚していない人への妙な気づかいはまだまだ続いています。
これは、就職、住居、恋愛などの生活全般に大きな影響を与えています。
結婚しているというステータスは、日本で生活している上ではあった方が楽な面も多分にあるのです。
であれば、いつまでも結婚を周囲から言われるよりは、結婚している状態にしちゃうのは精神の安定性につながると思います。
4つ目は、「多分、結婚が増えて、出産も増えると思う」ことです。
少子化の時代、出産と結婚が相関していることから、日本は結婚と出産の奨励に余念がありません。
ですが問題は、結婚(入口)をしても離婚(出口)の制度が整っていないことから、結婚と出産は数を減らしています。
その方がリスクが少ないからです。
事実離婚は、離婚(出口)を制度面と文化面から拡充させるものです。
離婚をしても幸せ、という制度と文化ができることで、結婚と出産へのリスクが減り、結果的には結婚も出産も増えると思います。
■ 事実離婚などなくても幸せな社会へ
事実離婚などせずとも、幸せになる社会へ
事実離婚は現在の日本の制度疲労を考慮して、考えたものです。
「そんなの言ってもどうにもなんないよ。」は制度面で変えていく必要があるでしょう。採用とかね。
「そんなのズルじゃん。」なところはガッツリ制度を利用して生きていけばよいと思います。
でも、みんなが幸せな社会になるのが私の理想です。
ですが、何がどう幸せなのかって時間の経過と共に変化するよね、が私の違和感の始まりです。
結婚は幸せの絶頂だ
これはそうかもしれません。その時までの人生の絶頂という意味では。
でも、そこから幸せは急降下急上昇を繰り返します。
これを前提にした生き方をしていった方がよいんじゃなかろうかと思うわけです。